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朝川ひろこショータイム
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 目次 01 / 02 / 03 / 04
01.カサブランカ観察日記 06.歌手への道Part2
02.非情のライセンス 07.待望のレコーディング
03.幻の焼酎 08.デビューその後・・・
04.食いしん坊マンぷく!(宮崎編) 09.20th Aniversary Concert
05.歌手への道Part1 10.ありがとう!宮川先生

 ■ありがとう!宮川先生(2006/10/11)
2006年3月21日 お世話になっていた宮川泰先生がご逝去されました。
今回は先生のご冥福をお祈りするとともに、先生を偲んで、何故、私が宮川先生のもとで歌う事になったのかを
お話をさせて下さい。

話は今から10年前にさかのぼります。

1995年、セーラームーンの歌を歌った事で、フランスでアルバムのレコーディングをし、影山ヒロノブさんとDokkan Beatをデュエット。
そして10周年記念コンサートも無事終えたその約2ヵ月後。
1996年の2月はじめに、以前所属していたコロムビアミュージックの社長に突然「これからは演歌歌手1本で活動しなさい」と宣告されました。

演歌中心の事務所だったので、以前、憧れのアニメ主題歌が私に決まった時もOKをもらえずに、泣く泣く歌えなかった経験もあり
1部のスタッフを除いて、私がアニメソングを歌う事は、方針としては重要ではないという考えだったのだと思います。

でも10年間、大切に育てて頂いた事務所です。大変感謝もしています。
そのまま演歌歌手になるか、事務所を辞めてまで、自分のしたい事を貫き通すか?
今まで、大きな会社に所属し、色々な面で守られ、どちらかと言えばおっとりと過ごしてきた私です。
今後、仕事を続けられる保障が全くない中で、この私に何もかも出来るのでしょうか?
大きな不安に襲われ、いっそ、歌手をやめてアメリカに留学しようかとも思いました。
有り難いことに、沢山の人達が親身になって相談にのって下さり、沢山の助言を頂きました。

「歌手をやめる事は、いつでも出来るよ」Moonlight Destinyのディレクターだった小暮さん(故人)はそう言い
「今、ちょうど宮川先生がピーナッツのようなデュエット出来るヴォーカリストを探しているけど、勉強してみる?」
と薦めて下さいました。

まだ、今後どうすべきか結論は出ていませんでしたが、偶然にも、そのような時期に宮川先生のお話です。
先生に私の歌を聴いてもらえるこのチャンスにチャレンジしない手はありません!

1996年4月26日
コロムビア本社1階ロビーに颯爽と現われた宮川先生。威厳のある堂々としたその迫力に圧倒され、さらに緊張する私。
挨拶も早々に、いつもレッスンしていたロビー脇にあるレッスン室で、恐れ多くも先生のピアノ伴奏で、初めて私の歌を聴いて頂きました。歌った歌は「恋のバカンス」と確か日本語で「シェルブールの雨傘」と「黒いオルフェ」だったと思います。
かなり、あちこちと厳しく注意され、当時の日記には「こういう歌い方は初めて!果たして私に出来るのかな?」と
書いてありました。10年も歌ってきたのに・・・音楽の世界の奥深さを痛感し、大ショック!
でも最後には「本当に歌ってくれるの?ありがとうね」と言って下さり、朝川ひろこのまた新たなジャンルへの挑戦が始まりました。

5月16日 オーディションで選ばれた堀内恵子さんとの初顔合わせ。
やはり挨拶も早々に、すぐにハーモニーチェックです。そこはさすが宮川先生。
この日、初めて一緒に歌ったのに、声の色や音域など、とても相性が良く、驚きました。
ライブの為、宮川先生が用意して下さった沢山の音資料は、英語の歌を含め、今まで歌った事のない曲ばかり!
その時は「歌えたら格好良いだろなぁ〜」と人事のようでしたが、その後20曲ほどの歌を覚える作業は
本当に並大抵の事ではありませんでした(涙)

5月24日 銀座スウィングでの宮川先生のライブを初見学。この時初めて先生のお茶目でひょうきんな一面を拝見し
まだ、緊張でまともに話せなかった私でしたが、ちょっと親近感がわいたというか、「やっていけるかも?」と少し安心したのを覚えています(笑)

5月26日 2度目のレッスンはみっちり4時間。体力より気力が疲れ、ぐったりでした。

7月13日 3度目は『名匠』宮川組との初リハーサル、今までの私の仕事はほとんどカラオケ、生の演奏で歌う事ももちろん
ありましたが、歌謡曲やアニメソングは、サイズは変わってもメロディーや演奏が変わる事はありません。
ラテンジャズバンド宮川組の一流ミュージシャンの方達の演奏です。
その場のノリで間奏の長さなどが変わるので、歌謡曲出身の私は戸惑い、なかなか歌い出しのきっかけもつかめず
あせるばかり・・・自分の余裕のなさに自信喪失でした。

プロの世界は舞台に立ったら自己責任!誰も助けてくれません。
不安だらけでも本番はやってきます。
なんと5日後の7月18日には「ザ・ココナッツ」としてもう、銀座スウィングでお客様の前で歌ったのでした。

選んで下さった宮川先生に恥をかかせる訳にはいきません。
口から心臓が飛び出るくらい緊張しましたが何とか3ステージを
無事、こなす事が出来ました。

出会いからここまでは短期間でしたが、その後は月2回ほど、宮川先生が時間をさいてレッスンして下さり、ライブやコンサート活動で
鍛えていった感じです。


しかし、厳しかったですねぇ〜!
メンバーの皆さんには、ほんのちょっと音程がフラットしただけでも「その気持ち悪い音どうにかしてくれない?」と注意され
今までは一人で自由に歌ってきましたが、デュオとなるとふたりの音量、音程、息継ぎなど、お互いをチェックしながら
歌わなくてはなりません。同じ音でもその日の体調でふたりの音のとり方が微妙に違います。
歌詞も間違えたらバレてしまうし・・・

月1回の銀座スウィングライブでは1日、3ステージでしたが、宮川組の皆さんは長い事一緒に演奏してるので
本番前の音チェックだけでリハーサルなし、始めの頃は歌う曲が事前にわかっていましたが、その後はその場のノリで
私達がお客さんの前に登場してから、宮川先生が曲を決めるのです。
だんだん増えていくレパートリーをいつ、何を言われてもすぐ歌えるよう、自分自身で全てチェックしてから本番にのぞまないと
大変な事になります。もう、勉強の日々でした。

しかし毎回一流の方達の演奏で歌えるので、初めはオドオドとしていた私も、歌いながらリズムにあわせて
自然と体が動くようになりました。もちろん緊張の連続ではありましたが、最高に気持ち良かったですね!

そして先生はその日の良い所、悪い所を教えて下さり、必ず「どうもありがとう!お疲れ様!」と言って下さいました。
大先生なのに私達にまで・・・心配りを忘れない思いやりのある温かい素敵な先生でした。

本当に宮川先生には、いろいろな事を教えて頂き、貴重な経験をさせて頂き、私の音楽の幅が広がりました。
「『名匠』宮川組」や「ココナッツ」以外にも先生と二人だけのコンサートをさせて頂いていましたので
私事ではありますが、昭和6年生まれの父が昨年の12月に突然亡くなり
だからこそ同い年の宮川先生には父の分まで長生きして欲しかった・・・

今年の1月14日 柏市民会館で先生と二人でコンサートをさせて頂いた時にも、私がアニメコーナーでおどるポンポコリンを歌っていた時、突然踊りながら舞台に登場され、お客さんも私も大爆笑!
そのコンサート終了後、急きょ先生の提案で、ご自宅近くのイタリアンレストランで、スタッフ皆においしいワインと食事を
ご馳走して下さいました。
2時間ものコンサートを終えた後とは信じられないくらい
まだまだ元気一杯!
ギャグが飛び交い、笑いの絶えない楽しい食事会でした。

そして20周年コンサートの時も相変わらずお茶目なパフォーマンスで皆を楽しませて下さいました。
あの時が先生と私の今生のお別れになるとは・・・

本当に残念です。訃報を聞いても信じられず、慌ててお宅に駆けつけました。
先生は安らかな穏やかなお顔で、まるで眠っているようでした。今にも冗談だよと起き出しそうなそんな表情で・・・
呼びかけても目を覚ましてくれません。信じたくない現実を突きつけられ、涙があふれてきました。

音楽葬で行われた御通夜、告別式はいかにも先生らしい華やかなお式でした。
先生の棺に御花を添えたら、もう2度と先生にお会い出来ません。本当にこれが最後のお別れです。
「先生、今までありがとうございました」と何度も何度もお礼を言いました。悲しいです。淋しいです。辛いです。

でも悲しんでばかりいたら、ダメですね。息子さんの彬良(あきら)さんも告別式でこう言っておられました。
「父の形とはここでお別れですが、父の残した音楽を通して、心とはいつでも再会出来る」と・・・
本当に今でもテレビやラジオから先生の曲が聴こえてきます。

音楽史に残る素晴らしい先生とこんなにも沢山の思い出を作れた私は幸せでした。
先生に頂いた数々の財産をこれからの人生に生かして、頑張る事がせめてもの恩返しですね。
このご恩は一生忘れません。気持ちを強く持って前に歩いてゆきます。

先生、本当に10年もの間、ありがとうございました。
どうぞ、安らかにお眠り下さいね。

                                     (2006.7.1/138号 ミッチーキンキ掲載記事より)

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 ■20th Aniversary Concert後記(2006/3/1)
20th Anniversary Concert 曲目リスト
 M1 オリジナルメドレー  M10 メドレーPart1
 M2 サロベツ絶唱  M11 メドレーPart2
 M3 霧に抱かれて  M12 恋のバカンス
 M4 抱きしめて  M13 Lover come back to me
 M5 あきらめない  M14 逢いたくて逢いたくて
 M6 魔法使いサリー  M15 ウナセラディ東京(インスト)
 M7 Moonlight Destiny  M16 My heart will go on
 M8 カービィ!  M17 見上げてごらん夜の星を
 M9 童謡メドレー        アンコール
       ゲストコーナー  M18 かけがえのない地球

ご報告が遅くなりましたが、20周年コンサート、無事終わりました。

お陰様でたくさんの方にお越し頂き、素晴らしい20周年を迎える事が出来ました。
応援して下さっている皆さん、本当にありがとうございました。
それではさっそく、その時の模様をお伝えしたいと思います。

2006年1月22日(日)

6:00
起床 軽く支度をし7:00出発
前日の雪の影響で道路は所々アイスバーン状態、皆さんの交通アクセスを心配しながら8:00頃浅草ビューホテル到着。
とりあえずコンビニのおにぎりを2個急いで食べ、衣裳の準備や着替えも手伝って頂くメイクさんとの打合せ。

9:00過ぎ、今回の会場「飛翔の間」にてリハーサル開始 
今回はカラオケではなく、打ち込みにギターとキーボード、そしてコーラス2人(スノードロップス)というメンバーでしたが
皆のスケジュール合わせが大変で、スノードロップスとはリハ3回、全員でのリハはたった1回!
なんと当日初めて合わせる曲が6曲もあり、リハから本番のつもりで歌いました。

12:00会場なのに11:30前に終了 慌てて控え室に戻り、準備です。
いつも本番直前には食べませんが、皆バタバタで、誰も昼食を口にする事は出来ませんでした。
曲の順番をおさらいする暇もなく、舞台袖にスタンバイしたら、もう本番の時間。

13:00いよいよ20周年コンサートのスタートです。

まずは私が14歳の時に出場したフジテレビ「君こそスターだ」でのなかにし礼先生の
コメント(注1)から予選・準決勝合格までの映像。
ちなみに歌は岩崎宏美さんの「あざやかな場面」と「二十才前」。

デビュー曲「緑の詩集」のイントロでいよいよ朝川登場!
衣裳は大好きなピンク色のドレスに花のモチーフのレースのボレロ。
レコードやCDのジャケット写真とともに私がデビューしてから7年間に発売した
オリジナル歌謡曲メドレー。
「緑の詩集〜鎌倉通り〜なみだ美人〜桜前線〜桜の樹の下で〜そよ風の街」

この10年間これらの歌はほとんど歌ってなかったですし、かなりの緊張でしたから・・・(20年も歌ってますが今だにアガります)
歌詞忘れたらどうしようとそれだけが心配で、笑顔はひきつるし、足は棒立ち!
笑顔が作れなかった分、なんとか第1関門クリア そして皆さんへ挨拶。

でもその後、曲順を勘違いして違う話題に・・・アガると自分でも何を言っているのかわからなくなっちゃうんですよね。
なんとか修正してデビュー曲のB面、演歌色の強い
「サロベツ絶唱」(注2) 
もし、この曲でデビューしてたら今頃は間違いなく着物を着て演歌歌手の道を歩んでいたと思います。

そして、私を救ってくれた「鎌倉通り」(注3)や大和田伸也さんとデュエットした「ときめいて銀座」を作曲して下さった
山本寛之先生のギター演奏でカップリング曲「霧に抱かれて」を・・・
お花のボレロを脱いで生腕にょっきり(笑)ちなみに私の歌謡曲ファンはサロベツ絶唱とこの歌が好きな人が多いです。

歌謡曲コーナー締めくくりは10周年記念曲
「抱きしめて」。ここからコーラスのスノードロップスの登場です。

そしてバンド紹介。
今回のメンバーは現在テレビ朝日で放映中「八丁堀の七人」のエンディング(歌 ビリーバンバン)を作曲、編曲した
ギタリストの森正明さん、吉永小百合さん出演のシャープアクオスの音楽や「よぉ〜く考えよう〜お金は大事だよ〜」のアフラックのオルガン演奏をしたキーボードの蓮沼健介さん、それぞれ、個人でも歌に司会に活躍中のスノードロップスの後藤祐貴子さん瀬里奈ひとみさん!
みんな、「AX de アニソン?」の時のメンバーです。
私が作詞、作曲した「あきらめない」をスノードロップスのおふたりが歌ってくれました。

白の衣裳に着替え
ここからはアニメコーナー
「魔法使いサリー」「Moonlight Destiny」「カービィ!」

サプライズで「Happy Birthday To You」なんとこの日は私の母の古希のバースディー。売れたら豪邸をプレゼントするなんて、昔言っておりましたが、今だ実現せず(笑)
今の私に出来る事は歌う事と皆さんにお願いする事。で皆さんの協力を得て大合唱。
突然の事に母は涙・涙。心のこもった温かなプレゼントが出来ました。

続いて今後、ライフワークに加えたいジャンル
童謡メドレー
「早春譜〜浜辺の歌〜紅葉〜冬景色〜朗読〜故郷」

ゲストコーナーはラジオ日本パーソナリティー
大元雅治さんによるお祝いメッセージ。
続いて元青い三角定規の
西口久美子さんによるあの名曲。飛び出せ青春の主題歌
「太陽がくれた季節」。
ラストはビリーバンバンのお兄さん、
菅原孝さんの温かい(毒舌?)メッセージと歌の
プレゼント!芸能界の大先輩が私の20周年の為に花を添えて下さいました。感激しました。本当に私は幸せ者です。

ゴールドのコサージュをつけた白のパイソンのコートに着替え、ここからは、私が歌手を夢見て、一所懸命レッスンしていた曲のメドレーです。年代がバレますね(笑)

パート1
「卒業写真〜かもめが翔んだ日〜飛んでイスタンブール
                      〜異邦人〜パープルタウン〜青い珊瑚礁」


デビュー出来るかどうかわからないコロムビアのレッスン生の頃から、デビューして
10周年までの13年間、私をレッスンして下さった作曲・編曲家の杉村俊博先生を
ご紹介、先生も涙を流して喜んで下さいました。

パート2
「聖母たちのララバイ〜悲しみがとまらない
           〜君たちキウイパパイヤマンゴーだね〜恋におちて〜Desire」


明菜ちゃんのDesireはスノードロップスとかなり練習をし、振りをつけて歌ってみました。出来栄えはともかく(笑)私としてはよく頑張ったと思ってます。

内容盛りだくさんの今回のコンサート。
続いては宮川泰先生率いる名匠「宮川組」で結成された「ザ・ココナッツ」で、一緒にデュオを組んだボーカリストの
堀内恵子さんとのココナッツコーナー。
舞台上でパイソンのコートを脱いで、恵ちゃんと色違いのおそろいのお花のワンピースになり、宮川先生がラテン風にアレンジした
「恋のバカンス」

そしてザ・ピーナッツがアメリカのエド・サリバンショーで歌ったアレンジでの
「Lover come back to me」
ビック・バンド風で、ものすごく早いテンポで、スキャットも入り、メチャクチャカッコいいんです。もちろんこれも宮川先生のアレンジ!恵ちゃんとも、デュオを組んで9年半
楽しくノリノリで歌えました。

そしてわざわざお忙しい中おいで頂いた
宮川泰先生にご登場頂き、3人でトーク後
恵ちゃんを送り出し、贅沢にも先生のピアノ演奏で
「逢いたくて逢いたくて」を。
先生とのコンサートではよく歌わせて頂いてますが、これがなかなかの評判なので
色気たっぷりの大人の朝川を?(笑)皆さんにアピール!しました(つもり・・・)

続いて先生には「ウナセラディ東京〜宇宙戦艦ヤマト」の触りの部分をお笑いを含め、ソロピアノをご披露頂きました。
本当に心やさしい素敵な先生です。

最後のコーナーはゴールドのスパンコールキラキラのゴージャス、黒のロングドレスで登場。15周年の時はホイットニー・ヒューストンの「Saving all my love for you」に
チャレンジしましたが、今回はセリーヌ・ディオンの大ヒット曲タイタニックのテーマ
「My heart will go on」です。

それまで全く歌った事はなく、20周年で歌うと決めてから、歌詞と曲を覚えました。
練習してみてわかったのですが、シンプルなメロディなので歌い方に変化をつけないと歌が単調になってしまいます。
相当練習しましたが、なかなか思うように歌えません。本番当日の朝の移動の車の中でも、ずっとセリーヌの歌を聞きイメージトレーニング。直前のリハーサルでもいまいち。結局1度も納得のいく歌い方が出来ないまま本番です。

15周年では最初から最後までアガリっぱなしでしたが、今回は私の意識改革の成果か?始めはアガってしまったけれど、だんだん落ち着き、本番が今までで一番納得のいく歌を歌う事が出来ました。
いつも本番にメチャクチャ弱い私でしたが、これを機会になんかヒントを見つけられたように思います。

そして、ラストの曲は
「見上げてごらん夜の星を」。この歌は15周年のライブでも歌いたかった歌。
とにかく、温かい歌詞でメロディーがせつなくてキレイだなぁ〜とずっと思っていたので、BIGINや平井賢さんが歌った時は、
やっぱりこの歌はいつの時代の人の心にも、何か響くものを持っている歌なんだと改めて思いました。
今回念願叶って、この歌を歌える事になったのですが、選曲した時はまさかこんな気持ちで歌う事になるとは、予想もしていませんでした。

実はこのコンサートをとても楽しみにしていた父が11月に入院してわずか1ヶ月であっという間に亡くなってしまったのです。
このコンサートの前日、父の四十九日法要でしたが、私は岡山で仕事があった為父の納骨には立ち会えませんでした。
ラストのこの曲に、父との思い出の写真をスライドさせながら、私なりのお別れをしようと思ったのです。

練習では涙、涙で全く歌う事が出来ませんでした。
でも、大切な人を亡くしたのは私だけじゃない。同じ思いをしている人はたくさんいます。
きっとみんな星になって私達を見守ってくれていると信じて、心をこめて歌いました。
涙ぐんだものの、最後まで歌いきる事が出来たので父も喜んでくれたと思います。

そして、アンコール
たくさんの方から綺麗な花束や大好きなお酒やプレゼントをたくさん頂きました。

アンコール曲は、宮川先生に作曲して頂いた私が一生大事にしたい曲
「かけがえのない地球」です。
最後はメンバー皆で終わりたいという私のわがままで、レコーディングの際、コーラスは入ってませんでしたが、この日の為に
スノードロップスの後藤ちゃんが考え、当日のリハーサルで初めて合わせ、瀬里奈ちゃんとハモってくれました。

皆さんに支えられ、いろいろな意味で忘れることの出来ない20周年コンサートになりました。
応援して下さっている皆様に本当に感謝致します。ありがとうございました。
一日でも長く歌い続けられるよう、努力してゆきます。今後とも朝川ひろこをどうぞよろしくお願い致します。


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 ■デビューその後・・・(2006/2/7)
このところちょっとサボっていたら、あっという間に半年も笑タイムを更新しておりませんでした。さて、前回までは希望と挫折を繰り返し、ようやく私のデビュー曲が仕上がった所までお話しましたね。

その後の私は
「コロムビアのニューシンデレラ」となんとも嬉しくなるようなキャッチフレーズをつけて頂き、信じられないでしょうが、仙台駅構内のイベントにピンチヒッターで歌っているところを認められ、国鉄と東北6県がタイアップした「まるごと自然―東北」のイメージソング・イメージガール2代目に!(ちなみに1代目は女優の叶和貴子さん)そしてデビュー4ヵ月後には国鉄のポスターや時刻表の顔に!
また、キャンペーンで訪れた福島のあるお菓子工場は、デビュー曲と同じ名前のチョコレートを発売してくれる事となり、
順風満帆!まさに天にも昇る夢心地の私でした。

しかし、しかし、まもなく、またしても
奈落の底に落ちたのです。
ある日突然、国鉄側の担当者の方が移動に・・・そして計画されていたイベントが白紙に・・・そう、ちょうどこの頃、
国鉄からJRへと分割・民営化が具体的になった時期なのです。
コロムビアもこの曲をじっくり育てようとデビュー曲に期待していた分、突然の出来事になすすべもなく、私のスケジュール帳はほとんど真っ白になった。
短大を無事卒業し、一人暮らしを始め、いよいよ社会人として歌手に専念出来ると張り切っていたのに・・・私の2枚目のシングル発売の予定も全くありません。ただ、希望もなく、たまにある仕事をこなすだけ。「私は運が悪い。やっぱり芸能界は私には向いていない世界なのかな?」と自信喪失の日々を過ごしていました。

でもそんな中、数は少ないけれど支えてくれた人達がいたのです。
そして、私が出した結論は「石の上にも3年!」でした。
コロムビアのレッスン生になってデビューが決まるまでに3年。あの石川さゆりさんもデビュー当時には相当苦労したらしい。どんな境遇であろうと、せっかくなれた憧れの歌手。半年であきらめるのは早い。とにかく、3年は頑張ろうと・・・

そんな私のひたむきな願いを拾う神様がいたのか?1年半後にまたしてもチャンス到来!
2枚目のシングル
「鎌倉通り」がNHK6〜7月の新ラジオ歌謡に起用されたのです。しかも新人では初の起用。この期間はNHKラジオで毎日4回も私の歌が放送され、毎週フルオーケストラによる公開生放送番組に出演。テレビで見ていただけのベテランの歌手の方との共演です。そしてカップリング曲はこれまた、翌年に開催される「なら・シルクロード博」のキャンペーンソング。

開催日まで、この博覧会を広める為のキャラバン隊に参加し、全国キャンペーン。
開会式では皇室の方の前で歌うという大役。そして開催中は毎日、会場で私の歌が流れるのです。
あの暇だった時が嘘のように、新鮮な出来事ばかりで、毎日がめまぐるしく過ぎていきます。
なんとも言えない充実感と満足感の日々でした。

 世の中とは不思議なものですね。2枚目のシングルは7月の発売でしたが、翌年3月にはもう、新曲。
今度は
脱・爽やかなお嬢様路線(あくまでもその時のイメージ)でいこうと、ふられてやけ酒飲んでる女性の歌「なみだ美人」を発売。また川越・広島・大阪・奈良・新潟各都市の公的な歌や短大のカレッジソング、他の演歌歌手の人のカバー曲まで歌いました。あれほど、歌いたくても出来なかった夢のレコーディングづくしです。こうなると人間、色々な欲が出てきます。そして演歌制作にいた私が抱いていた密かな願い。私が子供の頃に見ていたまんがの歌は思い出とともに大人になっても覚えています。そんな歌が歌いたいと・・・

勢いというものは恐ろしいものです。そんな私の願いはまたしても叶いました。
現在色々なTV音楽を手がけている本間勇輔さんとTVドラマ「じゃあまん探偵団」の挿入歌でデュエットする事になったのです。そして、その縁か?すんなり
「魔法少女ちゅうかな・ぱいぱい」の主題歌が決まったのです。当時、フジテレビに挨拶に行った時、プロデューサーに「ちゅうかなは今、視聴率が20%でうちのドラマ部門第1位なんだよ」と!あのフジテレビのですよ〜すごいですね〜今だったら考えられないですよね。そんな番組の歌が苦労なく歌えたんですからね〜あの時代は幸せでしたね。
今だからお話しますけど、
あるアクシデントのせいで、1年続くはずだった番組が半年で打ち切りになり、「いぱねま」に変わったのです。せっかく、歌えたのに〜

しかし、ショックの私にまたしてもチャンスが・・・
ご存知、
「魔法使いサリー」の主題歌。あの人気アニメのリメークという事でオーディション。
アレンジはすでに完成しており、それに歌手が合わせて歌うというものでした。
そんな歌を私が歌えるはずがないと思いつつも、チャレンジせずしてあきらめるのはもったいない!
いい思い出にしよう!と、テレビの生放送を終え、腹ごしらえしたその足でオーディション会場へ。

合格の知らせを聞いた時はあまりの嬉しさに、翌朝も仕事で早起きなのに大泣きしたのを覚えています。しかしあまりにも有名な歌の為、それからは逆にものすごい不安とプレッシャーに悩まされました。ちゃんとCDが出来上がってテレビでオン・エアされてやっと安心、喜ぶ事が出来ました(笑)

 いやぁ〜20年によせて、今回デビューその後を振り返りましたが、思わずあの時の悲しみ、悔しさ、嬉しさ、喜びが胸にこみ上げ、1人ジーンとしてしまいました。
でもやっぱり
歌手として20年続けられた事に関しては運が良かったんですよね。


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 ■待望のレコーディング(2005/7/13)
20050713e私も今年の11月でデビュー20周年を迎えます。
今デビュー当時を振り返ってますけどあれから20年なんて・・・感慨深いものがあります。

さて、演歌制作からのデビューという事で、制作サイドは森昌子さんの「越冬つばめ」のような曲が朝川に合うのではと、同じ作詞家、作曲家の先生に依頼。
もろ越冬つばめ路線の
「サロベツ絶唱」そして3拍子の抒情歌「緑の詩集」の2曲が出来上がった。

初めてのレコーディング。まずはオケどり!カラオケ録音です。
最近はシンセサイザーやPCの発達で
打ち込みのカラオケが多いけど、当時の演歌界は生音が主流。当然、広いスタジオの中にたくさんのスタジオミュージシャンの方達がいる訳で、その光景は圧巻!

バイオリンの人達も20人以上だったし!まるで
オーケストラのよう・・・今思うとすごく贅沢だよね。
さぁ、そしてついにピアノでしかレッスンした事のなかった私のデビュー曲にアレンジがつきます。
バイオリンの綺麗な音が流れてきた時、「皆さんにとっては仕事だけど、この人達全て私のデビュー曲の録音の為に来て
くれた。そしてこれが私のオリジナルの歌なんだ〜」と思ったらジ〜ンときちゃって・・・
感激屋の私はそれからずっと涙・涙!

終了後予定していたレコーディングは涙で鼻がつまっちゃって、結局日を改める事に・・・
これだけ多くの人の手を借り、曲が完成する様をこの目で初めて見て、プロの世界の真剣さ、憧れの歌手に本当になれるんだという喜びを感じ、この時私は
幸せの絶頂にいた。

しかし、喜びもつかのま、本当のプロの世界の厳しさが私を待ち受けていたのである。キャー!
私のデビューまでの道のりは本当に遠かった・・・

サテ、感激の涙のお陰で翌日になった初めてのデビュー曲のレコーディング!
まずは
A面候補(当時はレコード盤)の抒情歌「緑の詩集」から・・・
こういう穏やかなワルツの曲調はテンポがゆっくりなので、音程にしろ発音にしろ、粗が目立ちやすくリズムにアクセント、言葉に色をつけ、たっぷりと歌わなくちゃいけないので歌うのが非常に難しいのです。

今でこそ、歌う上でのポイント(注意点)もわかりますし、いろいろな歌い方も出来るようになりましたけどあの時の私は素人同然。何回か通しで歌い、録音した歌をチェック。

「君はどんな歌い方をしたいのか」「朝川ひろこの歌とはどんな歌だ」とディレクターさんに言われたのですが、当時の私は、歌は1通りの歌い方しかないと思ってましたから、言われている事が全く理解出来ませんでした。

おまけに、この歌詞♪北国の〜♪で始まるのですが、北国の「
」が違うと言われ歌い出しから訳がわからず、私の頭は
大パニック!せっかく広い素敵なスタジオでの録音なのに、それからはスタジオには入らずディレクターさんの隣で3時間位
でしょうか?♪きた
ぐぅーにのぉ〜♪「違う」♪きたぐぅーにのぉ〜♪「そうじゃない!」の繰り返し。
結局初めてのレコーディングは進歩なく、これで終わり。なんと
37日の延期となりました。

当時の日記を見てみるとその間、短大のテスト週間、入部していた映画研究会の合宿。
レコーディングも終わってないのに、あちこちで朝川ひろことして歌の仕事をしたり、挨拶回りとフル活動!
しかし、寝ても覚めても、頭の中では♪きた
ぐぅーにのぉ〜♪がグルグル駆け巡り、自分が情けなくて布団の中で何度泣いた事か・・・たまらず母親に「もう、どう歌ったら良いのかわからない!初めからつまづいて、こんなんじゃ歌手になんてとってもなれない!無理だ!ついていけない!やめる〜」と涙,涙。
20050713d
初々しいデビューシングルのジャケットです

「それならやめれば良い」と母は簡単に一言。やっぱり大人ですね〜
プロの世界は生半可な気持ちではやってゆけない世界なんだと、肝に
命じて迎えた2度目のレコーディング!
そこにはなんと私が大ファンだった、当時引退中の
都はるみさん
いたのです。

感激でただ驚く私を前に、はるみさんは私のデビュー曲をたった3,4回
聞いただけですぐに鼻歌のように軽く歌いました。
その時まだ若かったけど何故か胸がジーンとしました。
恐れ多くも歌唱指導をして頂き、録音こそしなかったけど(今思うと残念!)はるみさんの歌を思い出しながら丁寧に歌いました。はるみさんのお陰でなんとか第1歩はクリア。

結局
2ヶ月間の間にレコーディングする事5回、時間にしたら25時間
ぐらいかな?ようやくデビュー曲2曲がやっと仕上がりました。きびしぃ〜!

                               (2005.1.1/132号、2005.4.1/133号ミッチーキンキ掲載記事より)

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 ■歌手への道!Part2(2005/7/13)
今回はデビュー日を迎えるまでの愉快な秘話をお話します。

まずは契約!未成年だった私は両親とともにコロムビアへ。
未知の世界に足を踏み入れようとしているんですから、私達親子は不安で緊張!
挨拶してすぐに、恐る恐る発したの母の第一声はなんと!
「うちには売る畑もお金もないんですが・・・」これにはコロムビアの人達は大爆笑!
「お母さん、うちは悪徳プロダクションじゃありませんから、安心して下さい」
こうして、私達親子にとって一番心配だった問題は解決した(笑)

お次は名前!当時、私の本名の苗字や名前がついた歌手の先輩方がいらしたので芸名を
つける事に・・・姓名判断で決めるのかな?と思ってたら、私の場合、話し合いからこんな風
に決まっちゃったんです!

まずは小学生の時から毎年、地元川越祭りの山車に乗り、鐘や太鼓を叩き、ひょっとこや鼻毛が飛び出た面をつけて踊るのだって平気な位、お祭り大好き人間だったので、お祭りと言えば上野と浅草でしょう、と、
「上野浅子」

川越は松平藩だったので
「松平和子」どちらも、いかにも演歌歌手でしょ!
当時、花の女子大生だったし(確か
オールナイトフジ全盛期?)
こぶしも回らなかったので(これは今でもか)演歌っぽい名前に抵抗があったんだぁ〜

私の希望は、本名が江のつく名前だったので美がつく名前が可愛らしくて、ずっと憧れだったんだけど
(まゆみとかひろみとか・・・)でも私の顔立ちからすると子がぴったりらしい(謎)で、子は決定!
結局、社長の奥さんの名前がひろこさん、母の妹も親戚のおばさんもひろこさんという事でなんか縁があるんじゃないかと、
ひろこに決定!

さて、苗字の方は何故か、浅野が候補に上がり(これも謎)
「浅野ひろこ」。
うん、なかなか良い!私も大満足!
しかし、私より少し前にアイドル制作部から浅野なつみちゃんと言う子がデビューするらしくこれまたダメ。喜びもつかの間、再び振り出しに戻る。

よぉ〜く考えてみると演歌界では川のつく名前が多い!瀬川瑛子さん、角川博さん、
山川豊さん。コロムビアの先輩には石川さゆりさん、細川たかしさん、大川栄作さんと皆、川が付く。
その上、私は川越市出身!先輩に続いてヒットを出せと、野を川に変え、
「浅川ひろこ」になった。

何故、名前が全てひらがなかは、やっぱりコロムビアは都はるみさんなど漢字を使わない名前が多い為。これで決定かと思いきや、浅い川ではなんとなく深みがないみたいと言う事で、いろんな漢字を検討した結果、さわやかなモーニングの朝に決まった。

こうして
「朝川ひろこ」という名前がようやく誕生した。
余談だがその後、コロムビアから苗字に川、名前は全てひらがなの氷川きよしさんがデビューし、大スターになった。私には
「川のご利益」がなかったみたいだ(笑)

次回は涙、涙でかなり苦労したデビュー曲のレコーディング時のお話をしたいと思います。
歌手になるのも大変だぁ〜

                                         (2004.10.1ミッチーキンキ掲載記事131号より)

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 ■歌手への道!Part1(2005/7/13)
皆さんお元気ですか!
ここのところちょっと
サボり癖脂肪が付いてしまった朝川です。
そんなことで今回は3編続けて歌手になったきっかけからデビュー曲までの道のりをお話をしましょう。

まずきっかけは、フジテレビ
「君こそスターだ」というオーディション番組に最年少で出場し準決勝大会を一人勝ち抜いた時、あの辛口の審査で有名な、 なかにし礼先生に「今までは持って生まれた才能、生まれたまんまの魅力で歌っているけど、これから年もとってお勉強もして努力するとなんか大きな花が開くような気がするんだけどなぁ〜」と言われ、すっかりその気に・・・(笑)
でも結局グランドチャンピオン大会では選曲ミスで大失敗!

その後も
「1000年女王」主題歌オーディションで「最年少のグランドチャンピオン大会出場者」と当時のサンスポに私の記事が出るくらいでしたが・・・あと1歩なんです。
最終選考までは残るのにグランドチャンピオンにはなれないんですよね。
ですから、なかにし礼先生に言われたこの言葉が後々私の励みになりました。

サテサテ、歌手を夢見るようになったけど、芸能界に知り合いなどいなかったのでまさに未知の世界!
お金を騙されたなどの話も聞き、うちの両親は大反対!(本当は
学校の先生アナウンサーになってほしかったみたい)
そんな時、コロムビアミュージックプロダクションがレッスン生を募集。
合格すると
無料で歌のレッスンをしてくれるとの事。これなら両親も反対しないだろうと応募したんです。

本物のレコーディングスタジオで100人位が競いました。そして
合格者は2人
晴れてレッスン生になったもののまだまだ、サバイバル!
実はこのオーディション、定期的に実施されていて新しいレッスン生が入ってくるし、レッスン生の中でも上達しない子がいると「明日から来なくて結構です」なんて言われてしまうので、毎回ドキドキ!

往復3時間かけて
3年ほど赤坂のコロムビアに通いましたが、一向にデビューも決まらず、あせるばかり・・・
おりしも短大の就職活動も始まり、
20才までにデビュー出来なければ歌手になる夢をあきらめようと思ってました。
そんな折、当時都はるみさんはじめ数々のヒット曲を飛ばしていた中村一好ディレクターが「顔を真っ赤にして一生懸命歌っている姿が良い」と私の担当ディレクターを引き受けてくれたのです。
結局このレッスン生達の中でデビューしたのは私1人でした。

もし、この時、決まってなかったら、一体何をしてたでしょう?
とにかく歌手になる事しか考えていませんでしたから、歌のジャンルにはこだわりませんでした。

今となっては別の道を歩んでいた私の姿にも興味がありますけど、やっぱり夢をつかんだ私は幸せ者だと思います。
意気揚々とデビューした私ですが
歌謡曲からのスタート。波乱万丈の歌手生活はこれからも続くのでした。

                                         (2004.4.1ミッチーキンキ掲載記事129号より)

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 ■食いしん坊マンぷく!宮崎編(2005/4/12)
先日、テレビ宮崎「こども歌合戦」公開録画の為、宮崎に行きましたが、
翌日早くからの本番と言う事で、
嬉しい前のりでした。
いつも言っていますが、アニメのお仕事は日帰りが多く、なかなかその土地にじっくり触れ合う事が出来ません。
ここ、最近は泊まりの仕事が多く嬉しい限りですが、今回もまた、思い切りおいしい物を堪能してきました。

まずはJA都城さん直営のレストラン(リバーサイド・マック)にて
大好きなお肉
本場に来たからには、普通の和牛よりもお高い都城和牛のステーキを・・・
このお肉、ほどよい脂肪分と肉のきめ細やかさが特徴だそうで、
味も香りも良いし、とにかくジューシーで柔らかい〜
大好きな赤ワインで口の中を爽やかにし、再び感激の時。
私はごはんを頼みましたが、さすがJA直営!お米の甘い事!そのままでもペロリのおいしさでした。


翌日、楽しいお仕事をし、宮崎空港で出発まで、副社長と恒例の楽しい打ち上げ。
空港内の郷土料理のお店「魚山亭」で宮崎名物づくし
地ビール(ひでじビール きつね)に特選焼酎(飲むほうに夢中で銘柄チェック忘れ)地鶏の炭火焼き、軟骨しょう油焼き、おびの天ぷら(さつま揚げ?)

そして感動は鳥南蛮!
甘辛酸っぱい南蛮液につけた揚げ鳥にタルタルソース。やっぱり私ってコッテリ派!これじゃヤセる訳ないよね。

そして食べて見たかった
冷や汁
我が家では夏、胡麻、味噌、砂糖、
きゅうり、薬味をいれた冷や汁でそうめんを食べていたが、こちらはその他に魚のすり身などを入れ、麦飯にかけて頂くという。
味はさっぱり、さらさらと喉ごしが良く、いくらでもいけそう・・・
この機会を逃してはと、食いしん坊の私はたらふく楽しんだのでした。

そして、今回はもう一つ嬉しい事が・・・
なんと公開録画が終わった後、
JA都城さんからおみやげに都城和牛を頂きました。
本当にありがとうございました。みんなでおいしく食べさせて頂きました。

つくづく、おいしい物に縁がある幸せ者の私でした。
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 ■幻の焼酎(2004/11/19)
先日、仕事で鹿児島に行きました。041119-01
アニメのステージの仕事は大体いつも午前10時から午後4時までの間に行われる事が多く
北海道だろうが九州だろうがほとんど日帰りなので、その土地を味わう機会があまりありません。

でもラッキーな事に、今回は空港から霧島までの移動もあり仕事前日に鹿児島へ。
そしてお仕事を頂いた方に空港近くの居酒屋「いり舟」で鹿児島名物をご馳走になりました。

まずはお酒大好きな私が、何故か匂いがダメで、今まで何度トライしても苦手だった
芋焼酎
今回はその方お薦めの
「黒伊佐錦」に挑戦。あちらは芋焼酎とお湯1:1の割合で飲むそうで
(コップには5:5って書いてありました)恐る恐る飲んでみると・・・

なんとちっとも匂いがキツくない!むしろ飲みやすさにびっくり!
ふっくらと揚がった甘いさつま揚げときびなごの刺身をつまみながら、
結局3人で2合徳利
(中身はすでにお湯でわってある)
14本も飲んでしまいました。

041119-02しかしさすが焼酎!
2日酔いにもならず翌日は
目覚めすっきりでした!
しかし芋焼酎がこんなにおいしいとは・・・目からうろこ!

私が感激していると、一般には販売していない、月に何本かしか生産していないという幻の芋焼酎を教えて頂き、そしてなんと後日、その焼酎を本当に送って頂いたのです。
その名は
かめ仕込み本格焼酎「鸞」(らん)、鮮やかなブルーの綺麗な瓶に堂々としたラベル。


今、焼酎ブームで国産芋の生産が間に合わないらしく、結構輸入芋を使って焼酎が作られているらしいけど
この
「鸞」は究極の焼酎を作る為に、厳選された国産のさつまいも、こだわりの黒麹、鹿児島シラス台地の最高の水、
志布志自然水で割水し出来たものだそうです。041119-03

製造は太久保酒造。
さっそくネットで調べてみたら(有名なのは侍士の門、森八など)これらの焼酎をわずか
4人で1本1本手作りしているそうなんです。
うわぁ〜なんて贅沢な焼酎!
飾っておきたいけどこんなチャンスそうそうありません!
さっそく
お湯割り(もちろん5:5)で頂いてみました。

サテ、それはなんと表現したら良いのでしょう!
あれほど芋焼酎の匂いがダメだったのに、いつまでも匂いをかいでいたくなる
ような上品な甘い香り!味はまろやかで甘くそれでいて喉越しが爽やかで実
に奥が深い味わい。

今まで焼酎にあまり思い入れはなかったけど、こんなにおいしい焼酎を初めて味わい、今の焼酎ブームに納得しました。世の中にはまだまだ知らない世界がいっぱいあるんですね。

今回、非常に貴重な体験をさせて頂きました。
焼酎ファンの方、朝川だけ良い思いをしてしまってごめんなさぁ〜い!


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 ■非情のライセンス(2004/10/13)
今年も又、戦隊もののレコーディングをさせて頂きました。
今回は
デカレンジャーの挿入歌です。

9/19に仮の資料が届き9/21にカラオケ録音。
前の資料でKey合わせは事前にしたけれど、当日に歌詞もメロディーも1部変更。

でもレコーディングは別の日だったので、私は気分も楽々、のびのびと仮唄を歌ったんです。ハミングも含め何度か歌い、終了!

次の本番の為にMDに録音してもらい、次回の日時と場所を確認しようとした所、「朝川さん、今後歌詞の変更がない限り、今日録音した歌でOKだと思います」と言われ本人、びっくり!
今日の歌がCDになると聞いてあわてて、私の歌を細かくチェック!

今回の歌のコンセプトは、監督曰く
「非情のライセンス/天地茂さん」だそう・・・と言われても
私は残念ながら知らないので、歌の雰囲気を大事にして歌いました。

しかし、歌ってると気持ちが
ブルーになってしまうくらい、ものすごく暗い歌なの。
左ミキサー三浦さん、右ディレクター八木さん
昔の歌謡曲?でもこの路線、元演歌制作出身の朝川には得意路線かも(笑)
という訳で久しぶりに普段使わない声質で歌ったのでなかなか
楽しかったです。

しかし、こんなに暗い歌、デカレンジャーのドラマの中で朝から流して、子供達は何を感じるのか、一人心配しています(笑)

ちなみに私が録音した歌が流れるのは、今月中の放送らしいです。私の予想する所、先日のデカレンジャーの予告に、
年の刑事さんが出てきたので何となく10月17日の放送じゃないかなぁ〜?と思っています。

お時間のある方、是非デカレンジャーを見て、どこで私の歌が流れるかチェックして下さいね。

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 ■カサブランカ観察日記(2004/8/19)
一人暮しを始めてからずっと1階(ガレージの上にあったので中2階?)に住んでいたので今、住んでいるベランダのある暮らしはとても新鮮。と言う事で、いつもなにかしらの植物が私を楽しませてくれます。

今回はユリの王者、
カサブランカのお話。
そもそも、ある新聞を一年以上購読していたお陰で、カサブランカの球根を頂いたのです。

球根、なんて懐かしい響き。
小学生の頃チューリップやヒヤシンスの球根を透明なプラスチックの専用容器に入れ、そこから出てくる白い根を毎日眺めながら、花咲く日を心待ちにしていたあの頃が甦りました。

植物は成長の期間が比較的短いのですぐ楽しめますよね。
それではカサブランカの成長記録を写真と共にお楽しみ下さい。

4月10日
カサブランカの球根から芽が
5月12日
一ヶ月でこんなに成長。ちなみに後ろはあまりにも巨大化したためボーズにされたハイビスカス(「気が付いたらもう師走」のビスカスです)
6月28日
毎日、お水をあげていただけで、こんなに大きくなり立派なつぼみをつけました。
後ろのボーズにされたハイビスカスもこんなに葉をつけ・・・ものすごい生命力(笑)
6月30日
こちらは仕事で頂いたカサブランカ。大ぶりの花が見事です。やっぱり売り物は違う!
7月1日
やっとお花が咲きました。でもちょっと窮屈そう・・・

ベランダ栽培、大成功!な〜んか華やかな気持ちになりました。

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